6Nov
この間、山道を走っていて、自分の車の前でゆっくりと走っているトラックがいました。
(これだけゆっくりと走るなら、後ろの車にゆずってくれてもいいのにな)と思っていました。
僕も、それほど速く車を走ることはないのですが、あまりにもゆっくりだった。
さすがに、追い越し車線のない道路で、トラックを追い越すほどの度胸もテクニックもなく、前の車の流れに沿って走っていました。
そこでちょっとした考えが浮かびました。それは、
「自分であえてゆっくり走っている」
そう考えることにしました。
「前のトラックによってゆっくりと走らされている」
本当はそうかもしれないけれど、でも、自分の意思でゆっくり走っていると考えるだけで、ちょっとだけ気持ちが楽になったんです。
そう考えることによって、
「周りの風景はこんなんだったんだ」
とそんな心に余裕も出てきました。
こういった考え方は色々と応用できるのではないのでしょうか。
「赤信号によって止まらされている」
普通ならそう考える状況でも、
「自分が止まりたいから止まっている」
そう考えたほうが状況が同じであったとしても、ちょっとだけ自由ではないのかと思うのです。
最近、職場でちょっとした嫌がらせがあって、それでイライラすることがあったのですが、
「その人によってイライラさせられた」
と確かにそんな状況なのですが、それでも、
「自分で意思でイライラしている」
そう考えたほうが、やっぱり自由な気がする。
この世の中で、時に、どうしようもない理不尽なことが起こります。
僕は、「自分の容姿や性格、生まれ持ったもの」など、へどがでそうなくらい嫌いなんです。
もしかすると、親が悪いのかもしれません。
でも、そんなときに、
「自分で選んでこのような条件で生まれてきた」
そう考えることによって、少しだけ自分らしく生きられるようになったように思います。
もっといえば、
「人生のハンドルを自分で運転できるようになった」
そういうことかもしれません。
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。