29Apr
今日は、ネットの映画を見たり、カフェに行って本を読んだりとゆったりと休日を過ごしていました。
ちなみに読んだ本は、ホリエモンの本「すべての教育は「洗脳」である」です。
その本を読んでいるときにメモしていたことを書き出すと、
学校というのはどこか工場に似ている。
「子供という原材料」をつかって「労働に適した大人」を大量生産する。
むかしは正解があった。いい大学を出ていい会社に就職。そういったことが幸福のプラチナチケットだった。
しかし、今は正解はない。昨年、東京大学を卒業し電通に入社した女性社員が自殺をした。これまでの幸福論では考えられない。それに、大企業であれば安泰というのももはや幻想。あの東芝ですら厳しい現実。
学校は禁止だらけ。あれはダメ、これはダメ。と禁止のルールを増やしていくのコストの安い教育手法。教師たちは難しいことを考えず禁止の枠から外れたものをただ叩けばいい。
これからの時代は没頭すること。
ホリエモンはプログラムに侵食を忘れて没頭した。
没頭できるかどうかは、どれだけ主体的に関われるかどうか。自分でルールを決めれば没頭できる。用意されたレールを飛び出し、未知の世界へ突き進む。 それが本当の学びの始まり。
与えられた作業ではなく、自分でルールを作れるゲームととらえた瞬間、没頭で埋め尽くされる。
やりたいことをやればいい。
土地があるからホテルを建てるのではなく、ホテルを建てたいから土地を探すのが大事。
大好きからやりたい人にはかなわない。
閉じた共同体というのは時代にあっていない。
ホリエモンいわく、閉じた共同体こそがいじめの温床。家だの教室だの、狭い閉鎖空間にいつも同じ顔ぶれがそろっていれば、関係がゆがんでいくのは当然。
この本を読んでいて、すべて共感したわけでもないのですが、でもいたるところで考えさせられました。
むかしに比べて、登校拒否が多いのも、さらにいえば離婚が多くなったのも、その人たちが悪いというよりは、システムの方に問題があると僕は思う。
学校という場所は、ただ同じ地域、同じ年齢という基準だけで、同じクラスになるという一緒の共同体にするのは、僕は無理があるだろうし、そりゃあ、そんなことをすれば登校拒否をしたがる生徒がでるのも当然。
ホリエモンも、
「狭い閉鎖空間にいつも同じ顔ぶれがそろっていれば、関係がゆがんでいく」
と書いているし、そこのところは僕も同感。
登校拒否の問題にしても、実は中学生の甥っ子が今、学校にまったく行けていない状態なんですね。常識や恥を重んじる兄がそんな暴挙を許すはずもなく、無理やりに行かしていたらしいですが、でも、とうとう体が動かなくなった。 今は、ご飯も自分で食べることができていない。そうして、結論をいえば学校には行けなくなった。
まあ、僕も学生時代は本当のことをいえば登校拒否したかったけれど、そんなことを親や兄が許してくれるはずもなく、体や心が壊れようが狂人になろうが学校に行かざるをえませんでしたけれどね。僕のことよりも、成績という数値しか親は興味ありませんでしたけれどね。
今は、自分が楽しいと思えることをやることこそがうまくいく道かと思います。
あのピコ太郎さんだって、「PPAP」の動画をアップしただけで世界が変わった。
あの動画は、ただ自分が楽しいからとりあえずやってみただけのこと。
ホリエモンがこの本でいちばん言いたかった事。それは、
「好きなことをやれ」
だったような気がする。
好きなことを没頭し、与えられた作業ではなく、自分でルールを作れるゲームととらえること。
僕はまあ、ある意味、性感マッサージ師をして没頭しようとしている。
その中で、いちばん大切なルールは、
「どれだけ来てくれたお客さんを感じさせることができるのか?」
ということ。そのことを常に自分に問いながら没頭していくというルールは、これからも変わらない。
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