23Sep

僕が中学生のときに、バレーボール部だった。
実のところ、相当な弱小バレー部で、それほど弱い中でありながら僕はレギュラーにはなれず、補欠だった。
さらにバレー部の顧問は、かなりの暴力教師だった。
かなり危ない先生だったけど20代半ばと若く、さらにかなりイケメンだったので、女生徒からは相当な人気があった。
その甘いルックスとは裏腹で、まるで殴ることを楽しむかのように、先生に逆らうものには容赦せず殴った。
僕が覚えている中でいちばんひどかったのは、ある先輩だった。
「お前、なんやその態度は!」
と、いつも以上に切れてしまった顧問の先生は、その先輩をひたすら殴り続けた。終わりはなく、1時間くらい続けた。
今だったら、スマホで動画でとってそれを投稿でもすれば、相当な問題になる。きっと先生は辞めさせられるだろう。
でも、30年前の中学では、わりと暴力などは当たり前だったので、このくらいでは問題になることはなかった。
翌日には落ち着きを取り戻したのか、
「すまなかったな」
の一言だけだったが、単純なのか先輩はその一言で恨むことなどなかった様子で許していた。
僕が中学2年の夏に、冷房のない暑い体育館の中で練習をしていると、30代くらいの男性が体育館に入ってきて、先生と意気投合していた。
練習の途中に、
「お前らちょっとこい」
と呼ばれ、
「この方はお前らの先輩や」
どうやら、その男性は、かつてこのバレー部に所属していたようだった。
それから、先輩は僕たちの練習に加わり、それなりにバレーが上手であることは分かった。
「俺が中学のときは、そうとうに厳しかった」
「あのときの厳しい練習があるから、今の俺がある」
などと、感傷にひたっていた。
そのほかにも、頻繁に、
「昔はよかった」
と言うので、僕たちのバレー部の中ではその男性のことを
「黄金時代」
と呼んでいた。
その黄金時代は、暇なのか、それから毎日のように体育館に来ていて、僕たちに指導をしてくれる。
バレー部のみんなは迷惑がっていたが、顧問の先生は、歓迎をしていた。
その黄金時代の練習は思ったよりも厳しかった。
「このくらい練習しないと、俺のようになれないぞ」
と、
(別にあなたのようになりたくないよな)
と心に中では思っていたけれども、そんなことはいえるはずもなく、ただ黄金時代の言われるままに従った。
みんな段々と腹が立ってきて、
「何で黄金時代に従わないかんのんや」
そう思い始めてきた。
顧問がこれないときは週に何回かあり、そのときは適当に練習をしていたけれど、黄金時代が来てからはそれは許さなかった。
きっとモチベーションが高いチームであれば、黄金時代は受け入れられていたのだろうけれども、僕たちにはそんな崇高な想いなど持ち合わせていなかった。
そこで、黄金時代が来るのが分かると、
「黄金時代がきたぞ」
とみんなに知らせ、練習をボイコットした。ばれないように各々が隠れたりした。
そんなことを繰り返すと、とうとう黄金時代がその体育館にくることがなくなった。
「やったー」
とバレー部員が喜んで、確かに僕もうれしかったけれど、でも本当にそれで良かったのか、と思うこともあった。
今思えば、その黄金時代は、寂しかったのではないのかと
30代半ばで、おそらく仕事もなく結婚もできず、誰からも相手にされることがない。
そんなときに、輝いていたかつてを思い出して、バレー部にきてしまった。
誰からも必要とされないその切なさは、今ならよく分かる。
それゆえに、もっと必要としてあげればよかったと。
僕は、黄金時代というのは、「誰かから期待され、必要とされている時期」なのかなとふと思う。
貴女さまは、かつて黄金時代はありましたか?
それとも今が黄金時代なのですか?
僕には、かつても今も黄金時代などはなかったのかもしれない。
でも、10代よりも20代よりも、40代の今のほうがずっと楽しいと、そうは思える。それは断言できるけれど。
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