25Apr
ぼくが小学生のころ、いじめがいたるところに蔓延していました。
今、思えばですが、小学生のころのいじめがいちばんひどかったように思えるのです。
小学生の5年、6年というのはクラス替えがなく同じで、さらには担任も同じだったのですが、マンネリ化したのか、5年のときに仲良かった子がいじめの対象になっていたのです。
小学6年になって男子3人がいじめられる対象となったのですが、5年のときまではみんな普通に仲良かった人たちだったんです。
特に、いじめにあっているひとりのF君とはかなり仲良くて、よく学校を一緒に帰ったり遊びにいったりする仲でした。それに、彼は頭も外見もよくさらにはスポーツもできる友人で、そんな彼と遊んでいるときはぼくの楽しいひと時だったんです。
でも、いじめられた。
3ヶ月ほどいじめが続くと別人のように覇気がなくなり、無気力のような顔つきになります。それくらい残酷ないじめでした。よく彼の親が気づかなかったのだと不思議に思えるくらいでした。
無関心は罪なのかもしれない。
担任も気づかなかった。ぼくは一度だけ匿名でいじめがあることを告げたんですね。その担任に。
でも、その担任の対応した方法が朝の朝礼か何かで、
「おい、Fよ、お前このクラスでいじめられているのか?」
そんな風に問うわけです。
ぼくは、
「はあ、この担任、馬鹿じゃないの?」
と、ため息をつきながら思うわけです。
そんな朝礼でみんなのいる前で、「いじめられている」なんて言えるわけないでしょう。小学生のぼくが考えたって分かることなのに。
結局、そのロリコン担任に、いじめがあることが分かってもらえなかった。 でも仮に分かったとしても解決などできるはずもなかった。
それに、
「誰が告げ口したんや」
と、その犯人探しをいじめの主犯者たちが行っていた。
もう、ぼくはこれ以上のことは何もできなかったんです。
そのころの僕は体が小さかったし、それに病気がちだったし。もしそれでも何かいじめをなくそうなどと行うと、ぼくがその容赦ない、いじめられる対象となってしまうのは間違いなかった。それは震えるくらいに怖かった。
あるときに、恐る恐るかつてF君と仲良かった友人に、
「F君、いじめられているのかわいそうじゃない?」
と聞いてみたのですが、
「いや、ぜんぜん」
みたいな、そっけない感じで、ぼくはちょっとびっくりしてしまったんです。
そのとき、何となく分かってしまったことは、この世界でぼくは生きていけることができないんじゃないかと思えたんです。
たぶん、この教室の人たちとましてや担任と、分かり合えることなど絶対にできない。
大げさにいえば、この世界と閉ざされたような孤独にさえなまれてしまった。
そんなことを親などに相談できるはずもなく、どうしようもない日々が続く。
ある時に、宮沢賢治氏の本を読んだんです。
その彼の本に中に、
「同じ感性の人がここにいた」
そう思えました。
ぼくと同じような立場で苦しんでいることが彼の小説の中で描かれていたんです。
少し救われたような、そんな気がして。
それから、そのときから、読書することだけが、ぼくの中の親友に出会えたような日々になってしまったんです。
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