24Apr
僕が昔勤めていた会社にYさんて方がいました。
Yさんは僕より少し先に入社した先輩でしたが、それほど仕事ができなかったので、みんなから軽んじられていた存在でした。
あるときに、Yさんの奥さんが大型トラックにはねられ、重症となりました。
何とか一命を取り留めたものの、頭を強く打ち、身体的にも精神的にも一生治ることのない障害を背負ってしまいました。
Yさんは無慈悲にも、一瞬で地獄に叩き落されたのです。
そんなことがあったにも関わらず、Yさんは何ごともなかったように会社に通い、愚痴も言わず、淡々と仕事をこなしていました。
彼にも幼い子供が二人いたし、さらに奥さんの世話もするようになった。
保険会社との交渉は1年以上続いたらしく、あるときに、もうお互いが今度何があっても何もいいませんという額が提示されて、そこで交渉が終了しました。
気になって、「その金額はいくらか?」と冗談交じりで聞いたみたのですが、さすがに教えてもらえませんでした。一生の障害を背負った場合の金額はいくらなのか知りたかったのですけれど、分かりませんでした。
Yさんは、子供と奥さんの世話があり、残業を一切せず帰宅するようになりましたが、そんな状態が長く続こうとも、未だかつて愚痴の一言も漏らさず、どうしようもない理不尽な苦しさを受け入れて自分と闘っている姿に、何か、これまで僕が見えなかったものが見えたような気がしたんです。
何となく思うのですが、人間の本質というのは、最悪のときにしか推し量れないような気がするんです。
自分が普通で幸せなときであればいくらだって大きなことが言える。でも、のっぴきならないどうしようもない不幸が訪れたときに、人の本質が分かる。
よく、結婚を考えている場合に、
「幸せにしてくれる相手」
を探そうとするし、それが普通だと思います。
でも、それよりも、
「不幸になってもかまわない相手」
と出会うことのことが、何か、美しく尊いことのような、Yさんからそんなことを教えられた気がするんです。
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