10Dec
友人のNくんは、ナスが嫌いでした。
どうも、それを見るのも嫌いというか怖いようで、ずっと以前にBBQをしたとき、ナスを近づけただけでも怖がって逃げていきました。
みんな面白がって、ナスを持っては、Nくんを怖がらせていました。昔だったから良かったものの、今だったら、パワハラで懲役20年でしょうか。
あるとき、Nくんは、大きな交通事故にあって、頭を打つなどの重傷でしたが、奇跡的に後遺症が残らずに約3か月で退院されました。
事故があって、しばらくしてからNくんに会いましたが、その事故以降、びっくりすることに、あれだけ嫌いだったナスが普通に食べられるようになっていました。
彼曰く、「頭を打ったから、ナスを食べられるようになったんじゃないかな」とのことでした。
もしかすると、味覚というのは舌というよりは、脳にあるのかもしれません。
因みに、僕は子供のころから、ずっとキュウリが嫌いでした。
確か小学生のころ、給食に出たキュウリが食べることができず、教室にひとり残って、キュウリと格闘していました。
「全部食べるまで帰れまてん」と言われ、このままは一生帰られないと思い、先生が教室にいないときに、こっそりとランドセルにキュウリを入れて、「先生、食べました」と言っては帰ったものでした。
昔はそんなことを許されましたが、もしも今でしたら、虐待で懲役20年でしょうか。
時は過ぎて、20代の中ごろ、大阪で吹奏楽団に入っていてサックスを吹いていました。そこには40代くらいのS夫妻もおられて、何となく仲良くなりました。
因みに、ご主人のSさんはホルンを吹いていましたが、僕と同じでかなり下手でした。
定期演奏会の前になると、朝から晩まで練習のときがあり、S夫妻は親切にも、いつもコンビニ弁当の僕に、昼食を作ってくれました。とてもありがたいことです。
昼食は、必ずサンドイッチでしたが、中にはキュウリが入っているのもあり、
「すみません、どうしてもキュウリが食べられないので」
と言って残させていただきました。せっかく頂いたものを食べられないのは申し訳ない思いでした。
しかしながら、それ以降も、S夫妻は昼食を作ってくれて、必ずといっていいほどキュウリが入っていました。そのたびに、申し訳ない思いで残しました。
ある時に、ご主人のSさんが怒り出して、
「どうして、これ食べんのや」
そう怒鳴りながら言ってくるので、
「前にも言ったように、キュウリが食べられないので」
そう恐る恐る答えますと、
「お前、それは食わず嫌いや」
と言い放ちました。
(いえいえ、僕はこれまで幾度もキュウリを食べてきて、それでも食べられないので、決して食わず嫌いではなくて、食べたけど嫌いなんですよ)
そう言いたい気持ちがありましたが、言えばきっと怒ると思うので、言いませんでした。
そういえば、わりと最近ですが、カフェでコーヒーとビザトーストを注文しましたら、なんと、それにキュウリが入っておられました。
まさか、ピザトーストにキュウリが入っているとは思いませんでした。
残すのも、もったいないので、なんとか食べようとしました。
そのとき、もしかしたら、キュウリは食わず嫌いだったのかもしれない。
ここ数年くらい、キュウリを食べたことがないので、もしかすると食べられるかもしれない、そう思って、おそるおそるキュウリを食べますと、
(ま、まずい)
ということで、やっぱり食わず嫌いではなく、食べたけど嫌いでした。
そういえば、僕の兄もキュウリが嫌いでした。親戚の人にもキュウリが嫌いな人がいました。
そうなると、一つだけ確信できることは、
「自分は生まれつき、キュウリが嫌い」
ということに間違いないです。
たぶん、神様みたいな人がいて、生まれるときに、
「お前、キュウリが嫌いで生まれるんやで」
そう勝手に決められて生まれてきたに違いありません。
人生というのは、自分の自由にならないところが実に多いというのがあります。
僕が男に生まれたのも、性格の弱さも、容姿のまずさも、兄の性格の悪さも、家庭環境の悪さも、そんなことは、僕の自由にならずに、勝手に決められて生まれてきたというのがあります。
だからこそ、そういう自分の自由にならないところでは、極力悩まないようにしようと思うのですが、でも、そこにとらわれてしまうことも、やっぱりあります。
少し話は変わりますが、僕の以前の職場に、「必ず嫌味を言い続ける男性のKくん」がいました。
Kくんは、誰に対しても、なぜか嫌味なことを言うので、段々とみんなから嫌われていきました。
みんな我慢が出来ずに、「もう辞めさせよう」という話にもなりました。
今思えばですが、そのKくんも、もしかしたら、神様みたいな人から、
「お前は、人に嫌味を言い続ける人間になるんやで」
と、そう決められて生まれてきたのかもしれません。少なくとも、Kくんは悪い人ではなかったかのように思います。僕のキュウリ嫌いと同じで、勝手に人の嫌味を言うように生まれてきたのかもしれません。
逆に大谷選手などは、
「あなたは、性格や人格も良くて、数千億稼いで、世界の英雄になるのですよ」
という風に言われて生まれてきたのかもしれません。
性感マッサージを行ってきて、ときどきですが、さまざまな悩みをお客さんから聞くことがあります。
中には、どう頑張っても変えられない悩みというのもあります。
どうしようもない悩みの多くが、神様みたいな人から勝手に決められている、ということが、自分の自由にならないことが、実に多いんじゃないのかなって僕は思っています。
セラピーを学んでいるときに、そんなどうしようもない悩みに対して、できることがあるとすれば、それは、「昇華」ということでしたが、長くなりましたので、またその話はいつか。
PS1.そういえば30代の中ごろに、1年以上、ほとんど何もできない状態が続いたことがありました。それ以降、なぜか長文を書くことが苦にならない、という風になりました。(苦にならないけれども良いことを書いているわけでもないですが)
PS2.因みに文中にでてきたSさんですが、食べ物の好き嫌いが何一つないそうでした。それは、とても素晴らしいことですが、だからこそ、好き嫌いがある人の気持ちが、まったく理解できなかったのだろうかとも思いました。
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