25Dec

2025年はAIがトレンドで、その傾向は来年以降も、しばらくは続くだろうなと言われています。
日経平均株価も、5万円を超え、これは景気がいいというよりは、AI関連の株だけが、あまりにも上がりすぎているに過ぎないと言われています。
最近では、AI写真集やAI小説といった類な本が売られていまして、個人的には、一瞬で生成されたものをそれほど読みたくないなあとは感じますが。
ネットのブログも、だんだんとAIで一瞬で生成された文章が多くなってきていますよね。誰にも読まれないと分かっていても時間をかけて書いていますし、さらには、つまらないとも分かっていても、それでも書き続けてきました。
少なくともこのブログは、自分の言葉で書いていきたいですね。
そういえば、最近、徳島にある大塚国際美術館へ一人で行ってきました。
僕は芸術の類はいっさい分かりませんが、あの厳(おごそ)かな空間が、とても心地よく思います。
絵については、さっぱり分からず、ただただ順番通りに歩いて絵を見てるだけだったのですが、どちらかといえば、切ない絵の方が圧倒的に多いですね。
当時の人の、何とも言えない生きる苦しさが、その絵から訴えかけている気がしました。
その美術館は、ゴッホの絵が多くありました。彼が有名なのは、絵の素晴らしさもありますが、その生きざまに多くの人が魅了されている感がありますね。
あれだけの絵をかいていながら、数枚も売れていない、貧しく弟に生涯にわたって世話になっている、気がくるって耳をちぎる、などなど。
美術館のあの空間に行くだけでも、行った甲斐があったように感じますね。
因みに、ああいう厳かな空間では、誰もごみをそのへんに捨てようとは思わないですよね。当たり前ですけれども。
少し余談ですが、今年の夏に、とある花火大会へ行ったのですが、もちろん多くの人が集まっていて、花火が上がるたびにその美しさにほれぼれするのですが、
その反面、ふと足元を見ると、いたるところに、ものすごいゴミがあふれている訳です。
僕も、飲み終わったコップとか手に持っていたので、その辺りに捨てれば楽なのですが、
それでも、僕は自分の人生で絶対に守ることリストがいくつかありまして、
そのひとつに、
「ゴミは、ゴミ箱に捨てよう」
ということがあるんですね。
その花火大会では、近くにゴミ箱が見当たらず、ゴミを持っていながら花火を見るのって、なんだかうっとうしいので、ゴミを捨ている人の気持ちはよく分かるんです。
足元のあふれているゴミを見ては、何度もそのへんに捨てようと思いながらも、なんとかゴミ箱に捨ていることができたんです。
もちろん、美術館では誰もゴミなんて捨てないけれども、ちょっと環境が変わると、なんか心の隙間というのが現れるような気がしますね。
ここから、ようやく本題なんですけれども(相変わらず前置きが長い笑)
AIが発展すればするほど、なんとなくリアルを求めてくる非AIが対極として現れてくるような気がしています。
それらで生成されたものは、楽しいけれどもなんだかむなしい、そんな中でリアルな物が求めら、例えば、地下アイドルのライブなんかは、むしろ、それなりに人気が出てくるような気がしています。
女風にしても、ある意味、求められていく時代になるのかもしれないです。
ただ女風は、今後、よりAIを使用してお客さんを集客する時代なので、やはりそれらを駆使しないと生き残れない時代なのは間違いなくて、
「ゴミは、ゴミ箱に捨てる」
なんて語っているおっさんには、もはや、生き残ること場所など、どこにもないことは分かりつつ、それでも人は変われないのかとも思います。
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