27Sep

これはセラピーの極意かなという考えに、
「見えないものを見ようとして、聞こえない声を聞こうとする」
ということがあります。
どういうことかといいますと、
相手の心の中など見えないことが分かっている。
でも、相手の心を少しでも分かろうと見ようとする。
相手の心の声など聞こえないことなど分かっている。
それでも、相手の心の声を少しでも聞きたいと願う。
そうしようとする姿勢が、
相手にも伝わるような気がするんですね。
もう少し端的にいえば、
「分からないことを分かろうとする」
という風にもいえます。
良好な人間関係が悪くなっていく要因のひとつに、
「相手のことを分かっている」
という驕りではないのかと僕は思います。
結婚相手にしても、恋愛相手にしても、
「相手のことが分かっている」
と思えた瞬間、そこから崩壊が始まります。
僕みたいな単純な人間であっても、
「あなたのことは全部分かっている」
と言われたらそれはそれでショックですね。
まあ確かに、僕の人生なんて人から見れば大したことがなく退屈であったけれど、それでも、これまで微かであったとしてもいろんなドラマがあったんです。
性感マッサージを行うときにしても、
できる限り、
「この人はどういう人なんだろう」
と、もちろん分からないけれども、少しでも分かろうと思ってマッサージを行おうとしています。
それと、その人の性格を端的に表しているのが、背中なのかって思っています。
「背負う」という言葉からも、その人の人生を表すのは、背中のような気がするんですね。
だから、僕は胸よりも、背中をマッサージしてあげる方が楽しかったりします。
女性によっては、
「背中ってこんなに気持ちがいいんだ」
と気づく人もおられます。
背中をマッサージをしながら、
「この人は何を背負ってきたのだろうか?」
と、考えながら行うと、すごく切なくなってくるときがありますね。
仮にセックスレスであったとしても、背中をゆっくりと撫でてあげる。
それくらいのことは簡単にできるであろうし、それだけであっても満足させられるんじゃないのかなって思うときもありますね。
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