2Dec
例えば、大気汚染か何かで空気が吸えなくなって、外に出る時には空気ボンベみたいなのを持ち歩かなければならないような状態になった時、初めて空気というのは当たり前ではなかったと気づくと思うのです。
幾年か前に、身内が亡くなって、その当初はあまり実感がなかったけれども、今になって色々と感じてしまうことがあります。それはどういうことかというと、例えば、むかし一緒によく行った店の前を通るだけで、何か切ない空気が体の中に入りこむような、さびしさを感じてしまいます。おそらくは、空気のような当たり前な存在だったからこそ、当たり前でなかったことに気づき、さびしさを感じることだと思うのです。
半年くらい前に、事故みたいな出来事にあって、もう身動きもできないほどに苦しんでいたときに、ふと当たり前に健康でいられるというのがどれだけの幸せであったかということに初めて気づいたんです。その当初、自分の中では、もう再起不能なのかと思っていたのですが、半年くらい経過して、かなりゆっくりな回復ではあるのですけれども、最近では、依頼があった場合において、ちょくちょく施術を行ってきました。
ここしばらくで、幾人かの施術を行ってきまして、体力的に以前と同等の施術が難しく、果たして満足のいく施術ができたかどうかは、ちょっと疑問なところもあるのですが、中には、「これまででいちばん良かった」という方もいたので、やや安心しました。
来年の4月くらいには再開したいと思うのですが、その前にも条件があいましたら施術を受け付けたいなとも思っています。
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