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イチローのごとく人に笑われる目標を

希望の光イチローは先日、安打数で世界一となりました。

まあ、日米通算ですので、それは違うという人もいますが、それでも、ものすごい選手であることに間違いはありません。

イチロー選手は、小学生のころから大きな目標があり、常に笑われてきたとコメントしていました。彼は小学生ですでに、プロ野球選手になることや年収も一億のプレイヤーになると公言していました。当然ながら周りから笑われたらしいですが、彼は見事にそれらの目標をかなえました。

大リーグに入るときも、首位打者になると公言して笑われたそうですが、実に2度も首位打者になり、さらには200安打を10年連続で達成し大リーグ記録まで樹立したのです。周りから笑われた目標を全部かなえてきました。

僕にも、目標というか夢があります。

誰にも言いませんが、40歳のときに考えた僕の夢は、

「ベストセラー作家になり自分の作品を映画化する」

ということです。どうぞ笑ってください。

というより、僕は人生で初めて大きな夢を持ったことかもしれません。もし、その夢がかなったときのことを考えると、涙が出そうになります。

これまでのダメだった人生に、何かひとつ誰にもできないことを成し遂げたい、そんな夢があること自体が豊かのようにも思えます。

僕は、自分の人生を振り返って、中学生まではそれなりに自分に自信があったのです。どちらかというとクラスでも人気者であったし、成績もよかった。まあ、成績がよかったというよりは、勉強そのものが好きでした。数学でも連立法的式や二次方程式、これまで知らなかったことを知ることこそが僕の中での歓びだったのです。夢中になって勉強をしたから、当然、成績も急上昇した。

僕は中学一年の初めのテストで、400人くらいいて大体180番くらいで、ごく平凡でたいしたことがなかった。それが1年の終わりには軽く50番内に入り、中学2年では、常に400人中20人くらいの中には入るようになった。いちばん成績の良いときには、学年で5番くらいにもなれた。僕の唯一自慢ができる過去。

僕はそれほど才能がなかったから何かひとつくらいトップになりたかった。容姿はそんなに大したことがなかったから何もない僕が女性にもてるはずもないことも中学生ながら鏡を見れば分かっていたから、一流大学に入り、有名といわれる企業で働き、もっといえば努力をして素晴らしい女性と結婚したかった。要は、もてたかった。

でも、成績が良かった僕に嫉妬した兄が、中学3年になって僕を精神的にいじめだした。

「お前はダメな人間だ」

そう、ひたすらいい続けた。

僕が中学3年のときに18歳になった兄が車の免許を取得し、ドライブに連れて行ってもらったことがある。そのときの言葉がなぜか今でも覚えている。

「なあ、真人、お前には車の運転など絶対に無理だな」

そう言われて純粋だった僕は、自分には車の運転など無理だと信じてしまい、車が運転できるのは兄のような特別な人だとも思い込んだ。だからこそ、30歳近くになるまで、車の運転ができないという洗脳は続いた。もちろん、今では当たり前のように車の運転などをしているが。

そうして、微かにあった自信が全て失われる事件があった。それは、高校受験の失敗だった。

本当なら、有数の進学校になど当然行ける成績だったけれども、兄から常に、

「高校に落ちたら自殺しなあかんね」

などといわれ続け、受験が近くなるとノイローゼのようになり、実力はあったにも関わらず、本番で失敗した。

仕方なく、僕は行きたくもない高校に通うようになり、悔しくて高校時代に友達ができず、何の才能もない僕に彼女などできるはずもなかった。

それから、人が怖くなって高校時代は対人恐怖症のようになっていたようにも思う。

そうして、目指していた一流大学になど行けるはずもなく、かろうじて三流の大学に入学し、まったく無名の企業に就職をした。

もちろん、このときの僕に夢のかけらもなかく、むしろ、死を考えていた。

そんな暗い気持ちのまま自分の性格を変えることなどできず、何とかかろうじて20代をすごした。

とうとう、30代のときに、なるべくしてうつ病になった。

 

まあ、40代の今は、それなりに楽しく過ごしている。

もちろん、大した職業でないから金もない。友達も少ないし、いい歳して結婚どころか彼女もいないし、会社では仕事ができないから若い女性に軽んじられている。そんなどうしようもない現実でも、僕はそれなりに自分なりに人生が楽しいと思っている。それはきっとかなわないかも知れないけれども夢があるからかなって思っている。

あの、地獄のような苦しみからどうやって抜け出せたのか。

いろいろと要因はあったと思う。整体師になったことも関係があるけれど、その前に、そんなとても苦しいときにあるセラピスト作家の本と出合ったことかもしれないと考えている。僕はその方の本を何度も何度も読んだし、さらに言えば、その著者の本のほとんどを購入した。そのことによって少しずつ考え方が変わっていったのかもしれない。

そうして、今から3年ほど前、ちょうど40歳くらいのときに、その方の講演会へ大阪まで受講した。

夢のような方だったので、とてもうれしかった。その方とフェイスブックでつながることもできた。

あるときに、僕はフェイスブックで日記を書いたんです。そんなに長くない文章でしたが、なぜかその先生が僕の日記を読んでくれてさらに、

「すごく上手い文章だな」

と、シェアをしてくれたのです。その先生は、誰も彼も褒めるような先生ではなかった。1000人ほど登録している友人がいて、そんな感じで褒めているのは2人か3人ほどだった。

僕は感動して、泣きそうになりました。そして、アラフォーになってはじめて自分の文章が上手いことに気づいたのです。もちろん勘違いかもしれないけれど、そんなことはどうでもよかった。尊敬している先生から褒められたことがうれしかった。

その一言で、僕は作家になることに決めたのです。

それからいくつか小説を書き、40歳の冬の年に、はじめてとある文学賞に応募しました。原稿用紙に120枚ほど書きました。これまで読書感想文でも3枚も書けなかった僕が、それほどまで書いたんです。

まあ、落選はしましたが、せっかく書いたので知り合いに売ったところ、

「すごく感動した」

そう、言ってくださいました。

僕は、夢など勘違いでもいいと思っています。仮に現実にならなくても。かなわなくても夢があること自体が豊かなことであろうと信じている。

いつか、僕の本を読んでくれた女性がいて、こんなおっさんと付き合いたいという方が現れることも夢見ているし、そうして、いつか、僕の本がベストセラーになり、そして映画化され、それを大きなスクリーンで涙を流しながら見ている、そんな自分を僕は夢見ている。

どうか、笑ってください。

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