5Apr
小春日和に、性感マッサージの依頼があって、田舎道を車でのんびりと走っていました。その日は、車の中がちょっと暑かったので、コンビニのアイスコーヒーを飲みながら。
そんなドライブ感覚の途中、ふと小さな工場が目に入ってきて、その工場の小さな庭の隅に桜が咲いていました。
その瞬間、20代のころに、大阪で働いていた小さな工場の記憶が、一瞬にしてよみがえってきました。というのも、その工場の庭にも桜が咲いていたからです。
その小さな工場で、僕は13年半ほど勤めていました。
入社したときの社員は、30人ほどで、言うまでもなく誰も知らないような、大して世の中に役に立たないような製品を作っていました。
僕は別に大して仕事ができるわけでもなかったですが、それでも、あのときには一生懸命に働いていたなと、ふと思い出したりしました。
そんな小さな会社でも、日々に色々なことがあって、絶えず揉め事があったことも思い出しました。
僕が23歳に入社したとき、ソフト開発部門に入り、その部門での上司は2人でした。その上司のひとりにKさんがいましたが、優秀でとても仕事ができる方でした。あらゆるプログラムはできるし英語もできるし、誰よりも働き、そんな忙しい中においても、僕のような何もできない新人の教育にも力を注いでくれていました。
でも僕が入社した約半年後に、Kさんは、脳出血で倒れて、一命はとりとめたものの、その後、半身不随となって、しばらく休職したのちに復帰できず退職されました。まだ43歳くらいで幼い子供もおられたと思います。
もしも、Kさんがその時に倒れなかったら、僕はきっと、まだその会社で働いていただろうと何となく思います。
それから数年後に、僕より年下の、社長の息子が入社してこられました。社長からは、息子に対して「厳しく教えてやってくれ」と僕に言われたので、あまり立場を気にせずに、それなりに厳しくやっていたら嫌われてしまったと思いました。
その後、僕が入社して8年目くらいに、突然、社長が亡くなりました。そうして、息子がその会社を継ぐような話になり、確か56歳の課長が、
「あんな馬鹿息子が社長になるんだったら、こんな会社やってられない」
そう言いながら、課長が辞めていくことになりました。
あと4年で定年なので、みんなからは「辞めるなよ」と言われつつも、決心が固くて辞められて、それから起業をされていました。
僕は、まあその息子さんとは、(まさか社長が亡くなるとは思わず、言いつけ通りに厳しくしていたこともあり)あまり仲が良くなかったので、ちょっとばかり居心地が悪くなっていました。
そんな中で、約35年も務めた59歳の職人さんが、親子ほど離れた社長の息子さんに嫌われたこともあって、色々と嫌がらせを受け、退職することとなりました。きっと前社長がいれば65歳まで働いたとは思いますけれども。
その職人さんの送別会は、こっそりと行われました。社長派の社員たちは、送別会に来ることはなく、反社長派の人たちのみで行いました。
それを行った場所というのは、小さな食堂でした。その職人さんは独身で、約30年間、毎日のように通った食堂での送別会でした。
長い間、頑張ってきたのにも関わらず、ゴミのように捨てられたことを送別会で飲みながら恨みつらみを語っていたことが印象的でした。10年近く一緒に働いてきて、初めて聞いた職人さんの愚痴でした。
それから、僕も社長の息子との、嫌がらせに疲れ、いろいろなことのストレスがかかり、病気に倒れ、36歳で13年半務めた会社を退職する羽目に。
まあ、ふと桜の木のある工場を通り過ぎた瞬間に、色々なことを思い出していました。
要は、何が言いたかったというと、ふと通り過ぎた小さな会社にも、そこにも、一生懸命働いている人がいて、日々、誰にも知られることのないドラマが生まれているんだろうなと、アイスコーヒーを飲みながら、ふと思った次第でした。
PS. 最近、80代の親から遺影写真を渡されました。その写真の背景には満開の桜が咲いていました。
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