17Mar

あるお客さんの施術後の感想の中に、
「気持ち良かったけど、もう少し深い快楽があるような気がする」
という風に言われていました。
施術をしていたときの反応もそれほど悪くない。でも何か物足りない。
何となく「あと少し深い快楽」ということの正体を考えていたのですが、
おそらく、その足りないものの正体のひとつは、「能動的な快楽」なのではないのかなと思いました。
因みに、能動の意味は、
「他からのはたらきかけを待たずにみずから活動すること」です。
例えばですが、人気オンラインゲームがあったとします。
そのゲームが面白くて、はまっている状態というのが、いわゆる「受動的な楽しさ」ですね。
もっと面白いオンラインゲームを作ってやろうしているのが、「能動的な楽しさ」であろうかと思います。
「受動的な楽しさ」と「能動的な楽しさ」
これは、どっちがいいとか悪いとかでないのですが、より深く楽しめるというのは、おそらく「能動的な楽しさ」ではないのかと思います。
その他にも、例えば、腰痛の患者がいたとします。
腰痛がひどくなったときにだけ、マッサージを受けに行くとすれば、それは「受動的な治療」ですね。
施術を受けるだけでなく、腰痛がひどくならないように普段の姿勢に気を付けたり、腰痛体操を行ったりすることがあるとすれば、それは「能動的な治療」ですね。
そういったように、快楽にも、
「受動的な快楽」と「能動的な快楽」
というのがあると思っています。
もちろん、「受動的な快楽」が悪いといっているのではなく、疲れているときには、ただただ快楽に浸りたいというのも必要だと思います。
しかしながら、今よりも深い快楽を感じようとすれば、「能動的な快楽」が必要なのかなと思ったりします。
能動的な快楽というのは、具体的にどういうことかと言えばですが、
例えば、
ただ、施術を受けるだけでなく、「こうすれば、わたしは、より気持ち良くなる」という具合に、能動的に施術にかかわることで、これまでよりも、より深い快楽がある場合があります。
さらにいえば、
「まさと、あんたの施術じゃあ物足りんから、ほかのところで受けることにしたんや」
と、そのように行動を変えることも、立派な能動的な快楽だろうかと思います。
PS. 今、人生がつまらない、何か物足りない、そう思っている方がいるとすれば、それは、もしかすると「受動的な人生」である可能性が高いのではないだろうかと、そう思います。
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