29Jun

人間の好き嫌いというのは、以前から不思議だなあと思っていました。
そういえば以前に、探偵ナイトスクープという番組にて、
「カレーが嫌いなので、カレーの魅力というものを教えてほしい」
という若い女性からの依頼がありました。
カレーが嫌いということで、その女性は周りの方々から、「あんなにおいしいのに」「人生損をしている」などなど、言われてきたようでした。
因みに僕は生まれてから、ずっとキュウリが嫌いでした。
キュウリの思い出ですが、僕が20代のころに、社会人の吹奏楽団に入っていて、テナーサックスを吹いていましたが、とても下手でした。そのときに20歳くらい年上で、ホルンを吹いていた男性でSさんがいたのですが、その方も、とても下手でした。2人ともに、指揮者の方から、「ちゃんと吹けや」と叱られていましたが。
練習が休憩のときにSさんは優しいのでサンドイッチをよく作ってくれていました。(作ってくれていたのは奥さんですが)とてもありがたかったのですが、キュウリ入りのサンドイッチが食べることができず残すと、「キュウリっておいしいのに」「ぜったい人生損をしている」と言われ続けました。
どれだけキュウリを嫌いと言っても、毎回、必ずといっていいほど、キュウリ入りのサンドイッチをくれました。やっぱり食べずに残すと、「こんなに美味しいんやから、いい加減に残さず食えや」と脅してもきましたので、優しいのか怖いのか、よくわかりませんでした。
よくよく考えてみると、キュウリ嫌いというのは、別に自分から望んだことではないんですね。キュウリを食べたいと心から思ってみても、身体というか、味覚が受け付けないんですね。
身体が拒否するものをあえて食べなくても、別に食べられるものを食べたらいいだけだと思うんですね。
嫌いことを頑張るよりも、自分にとって好きなことをやる方がいいと思いますね。
例えば、僕が「キュウリの漬物会社」に就職したとしたら、それは結構、地獄だと思うんですね。嫌いなものを頑張ってつくれないと思いますし。
でも、カレーを作る会社だったら、まだ頑張れるのかと思いますね。カレーは好きだから。
そういえば、最近のニュースで、20代の保育士が子供を虐待しているというニュースがありました。それがなぜSNSで話題になっていたかというと、かなり美人の保育士だったからでした。コメントでは、「もっと別の仕事があったのでは」とも書かれていました。さらには、「子供を虐待するのではなく、SM女王になって親父を虐待すれば悦ばれたのに」といった意見もありました笑。
どんなにイライラしていたとしても、子供を虐待するのは、おそらく本質的に子供が嫌いだったのかと思います。それほど向かないことをやるのは、本人にとっても周りの方々にとっても迷惑なことではないのかなあとも思いました。
自分が仕事を選ぶときも、どちらかといえば、好きか嫌いか、で選んできたことがありました。
20代のころには、ソフト開発の仕事だったのですが、その仕事は自分に合っていたと思うんですね。根暗でしたので、ひとりでパソコンをいじっているのが、楽しかったこともありました。
ただ、ソフト関係の仕事は、日進月歩で進んでいくので、この先ついていけるのかは、ずっと不安がつきまといました。
その30代の半ばのときに、そのソフト会社を辞めて、では今後、何をすればいいのか分かりませんでしたが、たまたま、整体の仕事で働きだしたのですが、思ったよりも楽しくかったので、自分でもびっくりしました。
さらには、整体では男性がほとんどだったので、女性向けの性感マッサージ施術を思いついて、それを今やっているのですが、より楽しくなりました。
ときどき、お客さんからマッサージだけでも依頼できますか、と言われるのですが、もちろん大丈夫と答えています。
あとは、こういった誰にも読まれないだろう、つまらない文章を書いていくのも、密かに自分にとっては楽しいことだったりするので、おそらく今後もブログは続けていけるのかなって思っています。
PS.カウンセラーを習っているときに、
「好きなことを仕事にするのって無理だと思う」と誰かが言っていたのですが、そのときに先生が、
「嫌いなことをやって上手くいくことの方が、もっと難しいと思う」と言っていた言葉が今も、心のどこかに残っていました。
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