3Jun
先日ですが、久しぶりにロープで縛ってほしいという依頼がありました。
「ロープは持っていないので」
とお客さんに伝えましたら、
「わたしが持っていきますので」
との回答でした。
縛りに関しては、「ぜんぜん得意ではないのでお勧めもしません」と伝え、それでも構わないとのことで、縛りを行いました。
さらには縛られた状態で、なぜかマッサージをしてほしいという希望でした。
施術の当日、シャワーを浴びられたのちに目隠しも希望され、アイマスクをつけ、全裸の状態でロープを縛っていきました。
真っ裸でロープに縛られ、目隠しをし、マッサージをする。
さらには、施術をしながら言葉攻めで「へんたい、このへんたい」となど罵ってほしい要望でしたので、一生懸命に罵ってみました。(実際には、ここで書けないくらいの言葉攻めや侮蔑してほしいとのことでした。。)
はたから見れば、変態プレイに見えるかもしれませんが、マッサージや言葉攻めを行うたびに、かなりの悦びの声をあげていました。
まったく身動きできない状態で、でも彼女の心の中は、自由であったようにも思えました。
そんな中で、ふと自由とは何かというのを考えていました。
因みに余談ですが、
大学のとき知り合った知人がいまして、その彼は音楽的な才能もあって、その道に進みたいようでしたが、彼の父親から断固反対され親の言われるままの道を進もうとしたところ、彼の心が壊れてしまって、まったく動けない状態になりました。
数年後、一度だけ、その彼に会うことがありましたが、かろうじて歩けるくらいで、ほとんど話もできず、おそらく元の彼に戻ることはないように見えました。
心の自由を奪われたことで、身体の自由すらもなくなったのではないのか、とそう思ったりします。あれから20年以上経過し、彼と会うことは二度となかったのですが、きっと今も心の闇の世界にいるのだろうと思います。
そういえば、ずっと以前に「五体不満足」という本を出した乙武さんがいまして、かつて結婚をされて子供もいましたが、不倫をしたことがバレ報道され離婚となっていました。
そのため「五体不満足、一本大満足」と揶揄されて、乙武さん本人も笑っておられました。
まあ仮に身体が不自由であっても、心が自由であれば、何でもできるんだなあと。
最近の悲しいニュースでは、猟銃を持った若者が立てこもりをしたという痛ましい事件がありました。
その彼の経歴をニュースでしていたのですが、学生時代からコミュニケーションが苦手で、大学を中退して、それから自衛隊に入隊したと書かれていました。果たして、自分の意志で自衛隊に入隊したのかは疑問でした。
因みに、「人間とは何か」、との哲学的な本を読んだときに、
「自由があること」
だと書かれていました。動物には自由は全くなくて、ただ本能のままに生きているだけで、人間だけが、自由があると。
さらには、自由とは何かと考えたときに、「自分の意志で選んだこと」だと思います。
変態を自らの意志で選ぶ自由もあろうかと。
と、このへんで長い余談は終わりですが。
そうして、そのお客さんは、縛られたままの姿で、おしっこをしているところを見られたい、との希望でした。
まあ希望ということで、お風呂場へ行き、そのまま出しているところを眺めていました。
見られながら、さらに悦んでおられました。
因みに、そういうプレイを風俗用語では、聖水プレイと呼びます。
聖水プレイを見てほしいと言われたのは、これまでで1人だけだったので、これで2人目となりました。
僕は、セラピストで整体師なので、あまり変態プレイは得意でないですが、それでも、お客さんに悦んでいただけたようで良かったと思います。
PS1.因みに、初対面の男性に縛られた状態で目隠しをしているのは、危険ですよとは伝えましたが、安心できそうなのでという理由で申し込まれたようでした。
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。