11Aug
お盆も近いということで、つまらない話です。
先日、あるお客様の手相を見ていると、そこに「仏眼」という相がありました。
それも両手にくっきりとあったので、ちょっと珍しいなと思いましたね。
ちなみに、手相の「仏眼」というのは、いろいろな解釈があると思うのですが、僕の意味合いとしては、
「先祖に見守られている」
そんな風に思っています。
まあ、ネットで見てみると、ラッキーな手相などと書かれている場合が多いですね。
いろいろと、そのお客さんと話をしてみると、やっぱりスピリチャルな感性であったり、霊的な体験がこれまでにあったりとしたようでした。
確かに、この手相がある方は、スピリチャル率は高いように思えますね。
その方の幼少からの不思議な体験談を聞いていると、あることわざを思い出しました。
それが、
「天網恢恢疎にして漏らさず」でした。
これは、どういう意味かというと、
「天の網というのは、粗いようにみえるけれども、すべてのいっさいの悪事を見逃すことはない」
だいたいそんな意味合いです。
これを、もう少し噛み砕いて書くとすれば、
「霊的な存在から、僕らのこころの中をずっと見られている」
ということかもしれません。
だからこそ、すべての悪事を見逃すことがないのだろうかと。
先ほどのお客さんも、何かから、心の中を見られている感というのは、拭えないということをおっしゃっていました。
もちろん、僕にはそういった感性はないのですが、こういったことわざというのは、真実かどうかというよりは、ある一種の戒めのような気がします。
たとえば、昨今の、ネットでの誹謗中傷というのは、あれは誰も見られていないから書くのであって、見られていると分かっていれば誰も書けないですよね。そういう意味においても、何かに見られているかもしれないということは、必要なときがあるような気がしますね。
そのお客さんは、彼氏かご主人かの相手がいるようでしたので、性感の依頼に関しては、罪悪感があるようでした。
罪悪感がある。しかし、それは、ある意味、必要な感性だと思うんです。
僕も、最近はとくに性感マッサージを行う上での罪悪感があるように感じてきました。
でも、人にとっての気持ちよさや快楽というのは必要なものだとも思っています。
PS.冒頭に書いたとおり、ほんとうにつまらない話でした。。
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