12Jun
整体を習い始めた頃、整体師の先生がいて、手始めに、
「こういう風にやりなさいよ」
と、具体的に体を触りながら整体の手技を教えて下さいました。
それを見様見真似で覚えていきます。
背中はこういう風に、足や腕はこういう具合で、という感じで具体的にどうやっていくのかを教えてくださいました。
それは、いわゆる実技で、整体にも座学というのもありました。
ある意味、自動車教習所と同じようなものですね。
実際に車に乗って運転を覚える実技と、交通標識などのルールを覚える講習とがあり、いうまでもなくどちらも大切ですね。
整体の座学というのは、具体的にいえば、体の筋肉や骨の仕組みを覚えていくようなものです。
その中で、すべて筋肉には「起始・停止」がありまして、だいたい筋肉の端っこが起始で、その反対側が停止となります。
筋肉を緩めていくには、その起始と停止を念入りにマッサージしていくことが、ひとつのコツとなるということも座学で学びました。
整体の実技や座学を学んでいくうちに、整体師の先生から、
「整体の手技というのは、自分で生み出し創造していくもの」
という風に教わりました。
要は、人の体というのは千差万別なので、お客さんの体にあった施術方法でやりなさいよ、ということを言いたかったのだと思います。
性感マッサージの手技というのは、教えてくれた先生がいたり、さまざまな教材を買って学んだり、ときにクンニ教室(笑)などで学びました。
ただ、今は、これまでの知識をいかして、自分で、(こういうふうにすると気持ちいいのではないのか?)と、自分なりに性感の手技を創りだしています。
創り出した手技というのは、ある女性には、すごい必殺技になったりする一方で、ある方にはマイナスになる、そんな場合もあるので、いまだに試行錯誤の日々だったりします。
そういえば、槇原敬之氏の「どんなときも」の歌詞で、
「迷い探し続ける日々が答えになる」
その言葉が、僕の心のなかで、とても響いています。
将棋の羽生名人にしても、「将棋のことなど何も分かってない」というスタンスで、最高な一手をいまだに探し続けていることだろうと思います。
夫婦関係にしても、「相手のことなど分かっている」そう思い始めたときから没落していきますね。
正解などはどこにもなくて、迷いながらも探し続けることそのことそのものが、答えなのかなと思ったりする日々です。
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