13Mar
例えば、転んでケガをしたときに血が出て、しばらくするとかさぶたができますね。
その、かさぶたというのは、血を止めるという重要な役割があります。
幼いころなどは、もう治ったかなと思って、かさぶたをはがす時がありましたけれど、まだ治っていなくて血があふれてきて、治るのにより時間がかかった経験というのは、たぶん誰にもあるものと思います。
さらに言えば、もう治ったのに中々かさぶたが取れない時もありますね。そういう場合は、さっさと、そのかさぶたをはがしたらいいのですが、以前の経験からか、不必要でありながらも、そのかさぶたをしばらく残したままにすることもあります。
かつてはとても重要だったかさぶたも、治ればそれはもう不必要、いらないものですよね。
体と同様に、心にもかさぶたがあるような気がしています。
これも例えばですが、
幼い少女が、同級生の男子にちょっとからかわれたりいたずらをされたという、まあ、そういう経験はかつてあったかもしれません。
それが嫌になった少女は、心にかさぶたをつくります。
そのかさぶたの役割というのは、男子を無意識的に距離を遠ざけようとします。それは、少女を守るためのかさぶたです。
でも、だんだんと心が成長して、「ああ男子というのはそういうものなんだ」とわかったときに、その心のかさぶたが、ふと知らない間に取れて、以前のように仲良くすることができます。
でも、もしその心のかさぶたが取れないままでいたら。
ずっと無意識的に男性を遠ざけてしまうかもしれません。
好きな人ができて恋をしたいと思っても、心のかさぶたがあるがゆえに、それができない。かつては、守るために存在したその心のかさぶたですが、結果として苦しむという結果になってしまうこともあります。
おそらくですが、極端な恐怖症の方には、こういう原理が働いているようにも思います。
ちょっとした高いところでも怖いという高所恐怖症というのも、例えば昔に高いところから落ちた経験から、心のかさぶたができて、無意識的に高いところから実を守ろうと、高いところに近づけまいと恐怖を心に与えようとします。
ほんらいならば、成長とともに剥がれ落ちるけれども、そのまま心のかさぶたが残ったままになり、いつまでたってもその恐怖症が治らずにその方を苦しめることになります。
ときどき思うのですが、性感マッサージをしていて、本人はイキたいと思っていても、それを無意識にストップしているのではないのかなあと感じるときがあります。
女性の場合は、親や周りの環境によって、ずいぶんと「性に対する価値観」が変わってきます。
きたないもの、けがれたものなど、そう教わるケースもあります。若い女性であっても、固執した考えのもつ親であれば不必要なまでにも恐れる場合もあります。
それで体を守るために心のかさぶたが形成されて、性的な感覚を奪われるケースもあります。ただ、そのときはそれが必要だったわけです。
でも、それが不必要な年代になっても、そのかさぶたが残り続けているケースもあり、それがゆえに「イケない、感じない」など自分を苦しめる結果となっていることもあると思います。
あきらかに、自分で快楽を抑えようとしているケースは、そういう力が働いているのかなと思う時もありますが、はっきりって分かりません。仮にわかったとしてもどうすることもできません。
というのも、他人の精神というのものは誰も踏み込めない領域がだからです。
もちろん全員とはいいません。でも、10人いれば1人か2人は、心のかさぶたが作用しているのかなとも思いますが、言うまでもなく僕の技術不足も大きな要因です。
かつて、全然イケなかった女性も、自分の内側にあるかさぶたに気づいて、見違えるように改善したというケースもあります。
でも、自分の内側を省みることができる方はほとんどいません。
「あのひとが悪かった」という外に原因を見つけてそれで終わりです。
少し話は変わりまして、ある女性のブログを読んだときにこんなことが書かれていました。
「付き合う男性がすべて悪い」
と。こんな目にあったといろいろと書いていました。もちろん、言うまでもなく付き合ったその男性たちが悪いし間違っているものだと思います。
でも、全員が悪いというのであれば、それはある意味、
「その女性の男性の見る目が悪い」
ということも考えられます。
おそらくですが、
「もしかしたら、自分の男を選ぶ目の方が間違っているのでないのか?」
そう考えた時、その彼女の問題は解決するように思えるのです。
しかしながら、「自分の内に問うこと」というのは、とても難しくて(言うまでもなく僕自身も)簡単に気付けるようなものではないかとも思っています。
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