3Feb

とてもつまらない話です。
例えば、ある方が誰かに頼まれて即興でピアノを3分間ほど弾いたとします。
それなりに上手で拍手の喝采があったとして、その即興で弾いた音色が表面的なものですね。
その音色を奏でるために、幼いころから毎日ずっと欠かさずに練習をしてきたことが背景という意味になります。もちろん、そんな背景など誰もしらない。
でも、もしその背景を知っていたとしたら、表面的なもの、つまり奏でた音色も違った音に聞こえると思うのです。より深く感じることができるとも言えるのかもしれません。
少し話は変わりまして、むかしの職場のことですが、まったくあいさつをしない男性が入社をしてきました。
なんとなく周りの雰囲気として、
「あいつはあいさつもできんのか!」
というふうになってきました。だから、誰からも関わろうとしてきません。
僕は、あいさつというのは、人間関係の潤滑油みたいなものだと思っています。トラブルを避けるために、とにかく、あいさつは行うべきであろうかと思っています。
ただ、もしも、です。その彼が、幼いころから誰もあいさつをしてくれなくて、さらには、あいさつをした方が、「そんなことしなくていい」と怒られるような生活をしていたらどうでしょうか。、あいさつなどできるはずがないとも考えられます。
もし、そんな背景があると知れば、あいさつができないという表面があったとしても、別にそんなことはどうでもいいように思えてしまいます。
背景を知ろうということは、物事を深く見ようということでもあります。
僕は施術ですが、「30分のマッサージ + 90分の性感マッサージ」を行っています。
これまで施術を受けたお客さんで、「すごく良かった」と言ってくださる方もいらっしゃれば、口には出さないまでも、「それほど」と思われた方もいらっしゃいます。
自分の施術の背景としては、整体師として、のべ5000人ほど、性感師として、のべ500人ほどの経験があります。
その背景がゆえに安心感は与えているのかなとも思っていますが、いかんせん、平凡です。
いつかは非凡な施術者でありたいと願っていますが、そうなるためには、これからも地道にコツコツとした一歩をあゆみ続けるしかないのかとも思っています。
それと、セラピストとして、最も重要なことは、お客様の背景を知ろうとするということです。もちろん、その方の苦しみなど分からないけれども、それでも分かろうとすることが大切なように思います。
肩がこれだけ張っているということは、いろいろなことを無理したり我慢をしているのだろうかなと、施術を行いながら、その方の背景を知ろうということです。
言うまでもないですが、こういった性感を受けようと思ったことそのことそのものにも誰にもいえないであろう深い背景ががある場合もあります。
表面的なことも、もちろん大切なのですが、背景的なものを知ろうとすることにより、より深い施術ができるのだろうかと思っています。
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