26Mar
3月になると、卒業式などや人事異動などがあり、別れの季節でもあります。
またテレビでも、色々な番組やドラマなどが最終回となりました。
ハッピーエンドにしろ、バッドエンドにしろ、
最終回には、つじつまを合わせて終わりを迎える。
僕はむかし、
「渡る世間は鬼ばかり」
というドラマが好きで見ていました。
たいていセリフが長く、さらに早口の人が多いので、
見ていてあまり退屈しないドラマでしたし、
4姉妹いるので、絶えずあちこちでドタバタしているシーンが面白い。
さらに、このドラマは有名な脚本家が書いていて、
その人を怒らせると、
ドラマ内に出演していた役者が、海外に行ったり亡くなったりして、
もう2度とドラマには起されないなどという噂もあり、
ついつい、見てしまった。本当かどうかは知りませんけど。
そんな「渡る世間は鬼ばかり」の最終回も、
ちょっと違和感があるくらい、すべてがうまくいって終わりを迎える。
でも、はたして「人生にとっての最終回」というのはあるだろうか?
たとえば、40年ほど勤務していた会社を定年退職することとなった場合があったとしても、
それで終わりというものでもなく、これからも淡々と人生は続いていく。
卒業式を迎えたとしても、また4月からは新たなスタートがはじまる。
人生にとっても終わりというのは、よくよく考えてみれば存在しないものかもしれない。もしかすると、「死」というものが、人生の終わりと考えることかもしれない。
死の先には、本当の終わりで、何もないかもしれない。
でも、「本当にそうかな?」
と僕は疑問に思ったりします。
確かに肉体は滅びるのでしょうけれど、
自分の魂だけは滅びずに、また人生は続くような気がする。
どこまでも、終わりなどなく、永遠に続いていくような気がする。
そういう観点から考えてると、
肉体は穢れてもいいから、魂だけは穢れたくないな、
などと思う時はありまますね。
「魂のけがれ」と「肉体のけがれ」をごっちゃにしてはいけないような気がする。
僕は、肉体は多少穢れてもいいけれど、でも、魂だけは崇高でありたいとも思っています。
なんとなくわかりやすく説明すると、
多少は、肉欲や欲望をもってもいいだろう(人間だも)けれど、理想だけは失ってはいけない、
なんとなく、そう思います。
さて、話が変わりまして、
3月をもちまして、今の昼間に働いている職場を退社することとなりました。
クビでなく(笑)、円満な退社です。
4月からは、しばらく暇なので、いつでも性感マッサージの予約ができるようにいたします。
これまで土日や祝日の予約ができなかったのですが、
いつでも予約できますので、この機会にぜひ、性感マッサージを受けてみてください。僕が性感マッサージ師としても最終回を迎える前に。
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