19Jul

生まれたときは健康だったんですけれど、3歳のときに突然に喘息になって、周りがびっくりしていました。
もちろん、3歳のときの記憶なんてないけれど、小学生になったときくらいに、喘息の発作で呼吸がほとんどできず、そんな中で眠ることなどできるはずもなく、ただ、うずくまることしかできなかったんです。
喘息の発作が起こるたびに、
「ああ、人生というのは苦しいものなんだな」
と小学生ながらに気づいてしまったんです。
まあ、当時は喘息という病気は軽んじられていました。大したことがないと。
でも、それは人それぞれで、僕の場合は特にひどかった。軽度のときは少し横になれば眠ることができるけれど、発作がひどいときには、もう横に寝ることすらできずに、壁にもたれかかって苦しみにもがくしかなかったんです。
でも、この病気は不思議なところがあって、
病院に行くと、すぐに発作はおさまる、ことです。
僕の場合、夜中に発作が起きるので、その場合、病院が開いていないので、耐えるしかないのですが、朝一番に病院に行くと、吸入器から薬の含んだ水蒸気を吸い込むだけで、3分くらいで呼吸がすごく楽になります。
でも、小学生になるくらいまでは、実は、みんなが喘息という病気をもっていると思っていたんです。この苦しみは僕だけじゃなくて、みんなが体験していることかと密かに信じていたんですが、
残念ながら、そんなことはないと知ってしまいます。この苦しみは誰にも分かってもらえない自分だけの苦しみだと。
小学校に入学して、ほとんどの人が「健康」だと知ると、何となく、みんなとは分かり合えないんじゃないのかなと、そんな風に考えてしまった。
そんなときに、僕が楽しいと感じた場所は、小児科の病院でした。
ここには、さまざまな病気で苦しんでいる人がいる。それだけで、分かり合えるような気がしたんです。
特にひどかった子は、小児白血病の男の子だったように思いました。髪の毛がなく、体が細く、でも、僕よりも不憫に苦しみに耐えているその彼が神秘的に見えたんです。
僕が小学2年か3年のとき、そんな友人が僕の家へ遊びに来てもらいました。そんな彼を見て兄が、
「このはげー」
と言って馬鹿にしたのを覚えている。
僕が、「ごめんなさい」と何度か謝って、もちろん彼は「いいよ」と言ってくれていても、なんだか寂しそうな顔をしていました。
その日依頼、僕の家に友達を呼んだことがほとんどない。それくらい衝撃を受けてしまった。
もともと兄は、人の苦しみに対しての理解などまったくなかった。それはきっと自分が病気などなく健康だったし、人並み以上の才能があったからかもしれない。
弟が喘息の発作で苦しんでいるというのに、
「お前がうるさいから、テレビが聞こえんやろうが」
などと、切れたりする。喘息は発作が起こると、「ヒューヒュー」と、結構うるさい音がでます。そんなときはちょっとくらい優しい言葉をかけてくれてもいいのに、と思いながらひっそりと耐えるしかなかった。
そんなこんなで、3歳から20歳くらいまで喘息が続きましたが、それ以降は、何とか発作が起きていない。
そんな経験から、
「人生とは何か?」
と質問があったとしたら、
「ただただ、苦しみに耐えること」
と答えるかもしれない。まあ、その問い自体に何の意味もないけれど。
もし、こんな病気がなかったら、もうちょっと人生を楽しめたのかもしれないとも思う。
でも、喘息になってよかったことも一つあった。
それは、僕が38歳のときに、お見合いパーティへ行ったときのことでした。そのときに奇跡が起こって、なんと、24歳の女性とカップルになれたんです。
それは、僕にとって奇跡でした。
その彼女とフリータイムで、
「わたしも実は喘息でした」
とその一言、一瞬で僕たちは分かり合えた気がしたんです。
その彼女とは幾度かデートを重ね、ある時に、カラオケボックスに行きました。不謹慎ながらもそんな場所でイチャイチャしました。
それ以降はほとんど会うことがなく、自然消滅してしまいましたが。
まあ、人生には色々あるかと思いますが、疲れたなと感じましたが、一度、性感マッサージでも受けてみてください。
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