6Apr
技術はかなり進歩していて、おそらくオリンピックまでには車も自動運転ができるのではと思います。
それにしても、ここ20年の技術の進歩はすごいなっと関心します。
僕が大学を出て就職をし、初めてデジカメを利用したのが10万画素でした。
当時、デジカメなどほとんど出回っていなくて、そんなデジカメでも10万円以上もした高価な品物でしたけれど、今では数千万画素で安価になっているし、そもそもスマホのカメラで全然問題なく利用できています。
そういえばそのころ(1996年ごろ)は青色のLEDがなかったかと思います。
赤色や黄色のLEDはあったんですが青がなかった。信号機でも赤色や黄色はLEDを利用していましたけれど、青色の場合、普通の電球に青のテープを貼って青色を出していました。
当然、液晶テレビもありませんでした。いわゆるブラウン管のテレビで相当デカクて不憫でした。
ただ、日本人が青色LEDを発明して、それができ光の三原色(赤、緑、青)があればすべての色を表現できるため、とうとう液晶テレビができました。あの薄さにかなりびっくりしてしまいました。
メールが出てきたのもちょうどそのころで、初めてメールが送付したときにも、「ええ?」と驚いてしまいました。
そのころメールを送ると20分後くらいに届いていたのが、今では懐かしい思い出です。
今後、IOT(インターネット オブ シングス)など、劇的に生活が変わっていくことと思い、さらに早いスピードで技術は進歩していくはずです。
それほど早いスピードで進化しているのにも関わらず、果たして人間は進歩しているのでしょうか?
それはすごく僕は疑問に思うのです。
週刊誌を見れば、著名人なのに薬に手を出したり、政治家は賄賂を受け取って隣の国の大統領が逮捕されたりと、それほど人間って技術の進歩ほどに変わっていないような気がする。
なぜ、人間の心はそれほど進歩しないのか?
たとえば、どこかの偉い哲学者が、
「恋愛のいたみをなくす手法」を見つけ出したとします。そんな手法を学んだところで、失恋をするとやっぱり痛みや苦しみを感じます。
技術はどんどん積み重なっていくけれども、人間の心は積み重ならず、すべての人がほとんどゼロからの体験しなければならないことこそが、進歩しない理由だと僕は思うんです。
もともと、赤ちゃんはまっさらな状態で生まれてきて、わざわざ言葉や習慣をゼロから学ばないといけない。だからこそ、人間は同じあやまちを何度も繰り返したりする。でも、それゆえに、面白いのかもしれないけれども。
最近は、アダム徳永氏のDVDなどを見て勉強したりしていますが、
その先生は、
「性感帯開発の研究を開始。最高のエクスタシーが得られる新技法・アダム性理論を確立」
とのことで、女性をいかせる手法を見出しているようです。
偉い先生がすごい手法を見つけ出したとしても、僕はそういったことをゼロからスタートして、少しずつ自分で積み上げていくしかないと思うんです。
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