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愛媛松山で女性のための性感アロママッサージ

暗い話です。

 もちろん、ポジティブの方がいいのは分かるのですけれど、ただポジティブだけでもどうかなと思うこともあります。

 昼があり夜があるように、ずっと昼間だけでがんばり続けなければならないのだったら、きっと人間ておかしくなるんじゃないのかなって思います。自然界を見れば、光があり闇もある。自然がそうなのだから、人間にもネガティブさが時に必要じゃないのかなって感じますね。まあ、ネガティブさをポジティブさ、両方のバランスが大事なのでしょう。

 僕はまあ、理想としてはだけど、上手くいっている時ほどネガティブに、どうしもようもない時ほどポジティブに、ってことは考えています。

 

 さて、今日はこれまでブログを書いてきた中で「一番暗い話」を書こうと思うのです。自分の中にある「闇の話」に近いかもしれない。それゆえに、暗い話が嫌いな人はこの先は読まない方がいいかもしれません。

でも、こういった話は100人いる中のたった一人にでも分かっていただけたらなって思ったりもします。

 

 僕が35歳から37歳のときを振り返って、どう考えてもあの当時は「絶望」という言葉しか見つけることができなかった。

 朝、苦しみながら目覚めて、まず考えることは、

「どうやって今日を生きようか?」

 だった。毎日が絶望で考えることといえば、リアルな死のことだった。

 

 僕が高校生のときの定年間際の社会の先生が、

「人生には、ただうずくまって耐えるしかない時がある」

 そう言っていたことを思い出した。退屈な先生といわれて、誰も授業など聞いていなかったけれど、僕はその先生の話が好きで真面目に聞いていた。

 はっきりいって高校時代には分からなかった言葉が、35歳になってようやく理解できた。というのも、その先生の言った言葉が僕の現実になってしまったからだ。

 

 リアルに死の先の世界について考えてみる。

 考えてみればみるほど、どう考えても怖い。いったいどんな世界があるのか?まったく想像ができない。それでも考え続ける。

 おそらく死の世界は、「時間も空間」も存在しない。それゆえにどんなことがあるのかさえ、さっぱり分からない。

 もしかすると、本当に「閻魔さま」みたいなのがいて、人間たちを裁いているのかもしれない。

 そうすると、僕にはどんな罰が待っているのだろうか?

 たとえば、1万年くらい何も誰もいない闇の中でぽつんと僕の魂だけがそこに存在するような刑罰を考えてみた。怖い。宇宙の時間からしたら1万年なってほんとあっという間。そんな人間界では考えられないことをひたすら考え続ける。

 しかし、どう考えたって死の先にある世界は恐怖でしかなかった。

 

 毎日、そんな死と向き合い、1日を過ごす。

 この絶望から自分を救い出す方法を考えてみたけれども、何一つ思い浮かばない。なんとしても救ってほしいと願い、高いお金を支払って東京の偉い先生に会ってはみたものの、何も変わらなかった。

 

 結局のところ、「どう考えても絶望」から救えるのは、死しかなかったんです。

 そうして37歳のある冬の日に、命を絶とうと決めるわけです。

 あと、10日間と、自分で「命の時間」を決めたんです。

 そう決断すると、なんだか肩の力が抜けて楽になった。

 でも、その人生の残り10日間ってとても不思議でした。

 これまでとは世界が少しだけ違って見えた。

 僕が散歩をしていて、目の前に野良猫が歩いていたんですが、もし、この野良猫がいなかったら、この世界には僕なんて存在しえない、そんな風に見えたんです。

 空を飛ぶ鳥や行き交わる人々、その存在があるだけで、それだけで感動して、そうしてこの世界への「感謝」しか思い浮かばなかったんです。

 そのときは、僕はちょっとだけ悟りをひらけたのかもしれません。

 たぶん、フロイトやユングの言っていた「集合的無意識」ということに気づけたのかもしれません。フロイトは人間の深いレベルにおいては人間同士がつながっているといい、さらにユングはもっと深いレベルでは動物とつながっていて、さらには、植物や鉱物もつながっていると提唱していた。

 もしかすると、僕はその世界にちょっとだけつながったのかもしれません。

 そうして、10日が経過して、とうとう命を絶とうとしたけれども未遂に終わったんです。

 それから数日後に、「とある奇跡」が起こって、絶望が回避され、結局僕は生きれるようになったんです。

 そのときの歓びについては、「僕が踏んだ町と僕に踏まれた町」に書いたんですが。

 

 あのとき、確かに僕は死んでいた。でも今は生きている。それはすごくラッキーなことに思えたんです。「おまけ」みたいな人生。どうせあのときに死んだのだから、僕は、がんばって今までと違うべく楽しい人生にしてやろうと。

 

 さて、じゃあ僕の思う楽しい人生とはいったいなんであろうか?

 それは女性にモテルことと思ったんです。本気でそう思ったんです。これまで全くといいほどもてなかったから、なんとしてもモテてやろうと。

 38歳にして婚活をはじめました。そのときは毎週のように出会いを求めていましたんね。

 ちょうどそのころに確か街コンというのも始まって、婚活ブームの到来だった。

 街コンやら、お見合いパーティやら、合コンやらにひたすら参加していました。

 毎週のように出会って、時々、女の子とデートできるようになって、でも付き合うまでにはいたらない。告白してもほぼ全員にふられた。

 もちろん、振られたら心はすごく痛むわけです。そもそも、僕はぜんぜんアクティブな人間じゃない。それでも、なぜか振られても振られても一歩前に進むことができたんです。

 それは、きっと今は「おまけの人生」で、あのときに死んでいたら失恋の痛みすら感じることができないとそう考えることができたからかもしれません。

 まあ、38歳にして、たこ焼きが好きだからという理由だけでたこ焼きやで働いたこともありましたね。「お前は使い物にならん」さんざん店長に言われて1ヶ月で辞めされましたけれど 笑

 おまけの人生だから、こういったダメダメな体験も楽しめようかと。

 

 婚活は2年ほど続き、100回ほど色々なお見合いパーティだの街コンだのに参加して、のべ1000人近い女性と出会ってきたけれども、振られ続けて、結局彼女ができず、僕はやっぱりダメかもしれないと思いながら、でもそんな中でありながらも、何か人生が楽しいと思えたんです。

 

 今の43歳になるまで、10社以上も仕事を変わって、世間的に見ればクズなんだろうけれども、それでも、そんなことたいしたことじゃないと思えている。

 

 今でも僕はネガティブでどうしようもないおっさんですけれど、ひとつだけ自信があることがあります。

 それは、37歳のときに体験した以上の不幸は僕には起こらないと断言できる、ということです。

 これから歳をとり、ブサイクがさらにブサイクになり、頭はますます禿げ、年収も今よりも下がろうとも、僕にはそんなこと、どうでもいいようにも思える。もちろん、落ち込んだり悩みは尽きないだろうけれども。

あの時以上の不幸は起こらない

 ということが、そんなネガティブなことが、なぜか僕の自信につながっていたりする。

 

 40歳のときに、苦しい人を助けてあげたいと占い師になった経緯があります。でも、僕には人を救うほどの才能も能力もなく、占いに関しては今はもう行っていない。

 もし、あのときの体験がなかったら、そもそも占い師などならなかったであろう。

 

 今、振り返れば、誰からも相手にされず孤独で、でも、そんな「あの絶望の日々」こそがいちばん輝いていたような、絶望こそが僕を変えてくれた、今だからこそ、そんな風に思うんです。

 

■性感マッサージの申し込み&問い合わせ

 

PS.今日は桜の咲いていない並木道を散歩していました。明日ものんびりと映画でも独りで見に行こうかなって思っています。

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    • luelue
    • 2017年 3月 26日

    コメント初です。。
    今日のお話を読ませて頂き、すごく共感したもので何か書き込みたくて堪らず、かと言ってなんと書いていいか分からず…
    私も同じ部分があります。私も一度死んだと言う事にして、今の現実はそれ迄の報いとして生きると言う様に決めたんです。
    報い、責任ですから楽しいものではありません。辛みを訴える相手もいません。自分の撒いた種を責任持って刈り取るまでの命と思い生きています。
    決断後の感じ方は違えど、一区切りして進むのは長い人生有り何じゃないかと思いました… 良かれ悪かれ……

    予約の日が楽しみです。。

      • seitai-aromamm
      • 2017年 3月 26日

      初コメントありがとうございます。
      予約もしていただきありがとうございます。

      また、色々なお話ができたらいいですね。

      よろしくお願いいたします。

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