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もしも明日が。。

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 僕が高校2年生のときに、修学旅行では東京ディズニーランドへ行きました。

まあ、あんまり修学旅行に関してはよい思い出はないのですが。

 そのときから、上手く言うことができない何か若干のヒエラルキーを感じていました。

 確か、班分けをしたときですけれど、担任から、

「みんな好きな者同士でグループ分けせえよ」

 というわけです。

 そうなるとどういう風になるのか。

 高校生のころは、主にイケているグループと普通グループ、そうしてイケてないグループの3種に誰にどうこう言われたわけではないのですが、自然にそう分かれてしまったのです。

 僕は、ふと流れにそってグループに入ったのですが、やはりイケてないグループの一員に入っていました。何というかみんなきっと彼女がいないだろうなって雰囲気。

 修学旅行は愛媛からバスで行ったのですが、そのバス中にずっとかかっていた音楽がありました。

 それは、理由は分からないのですが、中島みゆきさんの「あした」という曲でした。

 中島みゆきさんといえば、暗い音楽と歌詞で有名ですが、その中でもトップクラスのくらく救いようのないくらいの暗い音楽であり歌詞だったのです。

 

「もしも明日 あたしたちが何もかもを失くして

ただの心しかもたない痩せた猫になっても

もしも明日 あなたのため何の得もなくても

いえるならそのとき 愛をきかせて」

 

 その曲が、ひたすら、おそらく1時間くらいはかかっていたのかと思います。

 僕は、その曲を聴きながら、ちょっと泣きそうになったり、自分の世界に入りそうになったりしました。

 僕が高校時代は、1980年代後半のバブル絶頂期でした。

 まさに黄金の国、ジパング。ゴッホの作品など数十億で日本人が落札をしてたりしていたり、東京の土地代でアメリカ全土が買え、日本の土地代で、世界中が買えるほど噂されたりと、日本の経済が世界のトップになろうとしていた、そんな時代でした。

 そんな日本の黄金時代だったのにも関わらず、僕は常に将来が心配で仕方がなかった。なぜ、あそこまで不安がっていたのか、はっきりとは分からないけれども、常にぼんやりとした不安におびえていたのです。それゆえに中島みゆきさんの曲にどこか違う世界に連れて行かれたようなそんな心理状態になっていたのかと思うのです。

 ちなみに、修学旅行の帰りにバスの中で担任が歌った曲が、わらべの「もしも明日が」だった。

これもわりと切ない曲で、今でも聞くと癒されてりする。

https://www.youtube.com/watch?v=5pCvE5M2Ko8

 担任は数学の先生でいかにもオンチな容姿だったのにも関わらず、すごく上手だったのもなぜか、そんなどうでもいいことは覚えている。

 僕は東京のディズニーランドでいったい何をしたのか、もう25年以上も昔だからさっぱり覚えていないくせに、バスでかかっていた音楽や担任のカラオケとバスガイドが美人だったことだけは鮮明に覚えている。

 

 高校時代、この先、僕はどうなるのか、ずっとずっと不安だった。20代もずっとずっと不安だった。でも、不思議と43歳の今、あれだけ怖かった不安は消えていたりする。

 こんなに適当に生きているくせいに、これから結婚などできず、ずっと未婚で孤独で貧乏のくせに、それほどの不安はあまりなかったりする。

 それはいったいなぜだろか?

 きっと、これまであまりにもどうしようもない不幸を体験してきたがゆえの、一種の開き直りだろうかと思ったりもする。

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