23Nov
僕が中学3年のときに、担任の先生から急遽、
「三者面談やるから親に学校へ来てもらうように」
そう言われた。
やや血相を変えて言われたので、いったい何があったのだろうかと心配になった。
そうして数日後に学校へ親が来て、先生と僕と親との三者面談があったのですが、そのときに言われたのが、
「実は、息子さんは・・・・・・・色弱のなのです」
親が、
「えええええ!!!」
とびっくりしていました。
「色弱ですので、ほんとうに残念ですが、これからの職業の選択に大きな影響があるかもしれません」
さんざん、先生が恐怖心をあおってきて、だんだんと怖くなっていったのです。
家に帰ってから親になぜかくどくど説教されたのです。でも、それって、僕が「男に生まれた」というくらい、生まれ持ったもので努力によって克服できるようなものでない、遺伝的な欠陥で、本音を言えば、
「親に問題あったんじゃね?」
と言い返したかったのですが、そんなこと言えるはずもなく、ただしばらく説教を我慢して聞き続けていました。
ある社会の先生が言っていたのですが、
「色弱だと、天皇家と結婚できない」
そんなことを言っていました。本当かどうか知りませんが、遺伝的な欠陥があると皇族とは結婚できないとか。
そのほか、職業では色弱だと、パイロットになれないとか、職業の選択に支障があるといっていましたが、
仮に僕が遺伝的な欠陥がなかったとしても、皇族と結婚できるはずもなければパイロットになれるはずもない、とう現実がありました。
ともかく、色弱であることが誰かに知られてはいけないと、これまでずっと誰にも言えずにいました。
それがばれたら、きっと、欠陥品ということで、馬鹿にされようかと。
そうしてとうとう色弱とばれそうになったことがありました。
それは、大学のときに3ヶ月ほどパチンコ屋でバイトをしていた時のことです。
パチンコでフィーバーになったお客さんの頭上に旗を立てるのですが、その旗にお客さんの特徴を書く必要がありました。男性だとか痩せているとか、どんな服を着ているだとか。僕はそのときにお客さんの服の色を書いていたのですが、どうもそれは違っていたようで、
性格の悪そうな年配の先輩から、
「お前の目はおかしいんか?」
そう言われたときに、体中から冷や汗がでました。
(とうとう、これまで黙っていた色弱がばれてしまうのか)
すごく恐怖で生きた心地がしなかったのですが、何とかその場はごまかすことができ、そうしてパチンコのバイトをやめる決心をしました。
そのとき、どれくらいの恐怖かというと、たとえばですが、カツラをかぶっていて、
「もしかして、カツラじゃね?」
そう突っ込まれたときの恐怖かと言えば、少しは分かってもらえるかも知れません。それくらい怖かったのです。
ちなみに20年前なので、いまどきのパチンコは客の特徴を書くといったそんな面倒なことをやっていないかと思います。何のために書いていたのか僕には分かりませんでしたが。
職業の選択においてパイロットだけでなく、パチンコ屋も勤まらないと悟ってしまった。
そのほかにも婚活をしていたときも、必死で色弱とばれないように気をつけていました。というのも、色弱は高い確率で子孫に遺伝するからです。そうなると、きっと嫌でしょう。
僕は20代くらいまで色弱であることを恥と考えていたのですが、
今となっては、ほんと、どうでもいいなって考えています。
特に日常で困ることないし。
そもそも、なんでこの程度であそこまで恐怖だったのだろかと考えたのですが、やはり、中学の担任がさんざん脅してきたからかもしれません。中学生の僕は何も世間を知らず無知がゆえにたいしたことがないことを重大なこととして思い込んでいたにすぎない。
未来に対して不安をあおることは結果としてあまりよくないことかもしれない。
今日は祝日で会社が休みです。特に依頼がないので今から猫カフェにでも一人で行こうかと思っています。あと、最近、問い合わせは多いのですが、なかなか依頼に結びつかず残念です。
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コメント
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3月に予約させていただいているNです。
私は共感覚らしく、ナンバープレートや時計、本などは数字や文字以外に色の情報が沢山はいってくるので疲れます。ずーっと歓楽街にいるみたいです。チカチカします。
なにより、まわりの「ふつう」の人に親ですら理解してもらえないのがツラかったです。
視力が悪いので眼鏡をはずすとほっとします。
使い道ないかなぁ
Nさん、コメントありがとうございます。
共感覚なのですね。たいへんだと思いますが、いつか理解される時代がくるように思います。