11Aug

日々、同じような生活の中で、できるだけ自分を変えるような日に出会いたいと思いつつも、中々、そんなことが起こらない。
でも、ほんの時々、この日を境にきっと人生が変わっていくんだろうなって予感する出来事に出会うことも、ほんのたまにはあります。僕の人生の中にもそんな素敵な日がありましたが、そのひとつを紹介したいと思います。
僕は大学が工学部だったから、わりとパソコンとかが好きでした。だから迷わずに、コンピュータ関係の会社に就職をしました。入社した会社のソフト開発部だったので、ある意味、その会社の心臓部分の業務を行っていました。
本音をいえば仕事は楽しかったです。自分に向いていたし。でも、何か物足りなかった。その物足りなさというのは、まあはっきりと分からなかったのです。
楽しかったけれど、残念なことにバカ息子が社長になってしまい、その年下の彼に罵倒されたりして、段々とうつっぽくなっていったんです。もう、何をやってもダメだって思い始めた。
ある日、とうとう会社に行けなくなって休職をしていたのですが、その時に通っていた整骨院の院長から、
「良かったら、整体師にならない?」
となぜか誘われて、僕には絶対に無理だと思っていたのですが、その時に不思議と、
「はい、やってみます」
と返事をしてしまった。
その時にやや対人恐怖症になっていたので、その怖い対象の人の体を触るなんて到底できないと思っていたけれど、研修を教えてくれた先生がとても優しい方だったし、一緒に受講していた生徒に可愛い子がいたので、やる気がでてきたのでした(笑)
2カ月近く研修をして、色々な方の体を揉みほぐしていく中で、少しずつ自分の中に自信を取り戻して行く感覚があった。そうして、とうとう院長の試験に合格し、僕がお金をもらってマッサージを行うこととなった。
初めてのお客さんは今でも覚えているけど、とても緊張しながらマッサージしたけど、思ったよりも反応が良かった。
確か、3日目だったと思う。ある年配の女性が受けに来ました。終わった時に、
「うわあ、すごく体が楽になった!」
「ありがとう、ありがとう!」って何度も言ってくれたんです。
そうして、その方は僕の指名をしてくれるようになりました。指名料は500円でしたが、そんなに大して実力がない僕にお金を出して指名してくれたことと、僕の施術にものすごく喜んでくれたことが、いいようのないような歓びに僕の体を包んでくれた。
多分、あそこまで体が震えるような嬉しさを体感したことはこれまでなかった。そこから、僕は何か今後自分の人生が変わっていくなって確信したんです。
きっと、幸せって誰かが何かをしてくれた時に感じるものだと思っていたんですが、そうではなく、自分が、誰かに何かをしてあげて、それで相手が喜んでくれた時に、人って幸せに感じるようにできているってそう確信したんです。
例えば、車いすの少年が階段を降りられなくて困っていて、それで周りの人たちが手分けをしてその重い車いすを持って階段を降りる。階段を降りる時に、その少年が嬉しそうに、
「ありがとうございます!」
と言ってくれとき、その少年よりも、手伝ってあげた方が何か幸せに感じるように思えるんです。
つまり、
幸せとは、何かしてもらった時よりも、何かをしてあげたときにより深く感じるものだと。
まあ、大阪でやっていたマッサージ店を泣く泣く辞めることになり、愛媛に来ました。そこで新たに何かをやりたいと思い、なぜか性感マッサージをはじめたのです(笑)
僕はマッサージをして悦んでいただけている時に、ふつふつと幸福感を味わうことができる。だからこそ、より高い技術を身につけ、マッサージを行い、さらに悦んでいただきたい。
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