4Aug
僕が高校1年生になったときの夏休みの初日のことです。
朝、起きると、まだ若いせいもあって、あそこがギンギンに勃起していました。
そこで、あまりにも立派だったので、手でゆっくりと擦ると、白い液が大量に出てしまったのです。それも、言いようのないくらいの快感を伴いながら。
それは、僕が初めて体験した射精でした。
もしかすると、それまでに夢精などがあったのかも知れませんが、一度も気づいたことがなかったので、実質、初体験でした。
そうして、しばらく横になっていると、またムクムクと立ち上がってきたので、もう一度、ゆっくりと擦ると、先ほどの量は出ないまでも白い液が流れ出し、これまた先ほどと同様な快感が僕を襲ってきたのでした。
これはいわゆる、マスターベーションに目覚めた日でした。
次の日の朝、もしかすると昨日たくさん白い液が出たから今日はもう出ないのかと心配しながら、あそこをまるで、魔法のランプなごとき大切に想い、ゆっくりと擦ると、またまた快感を伴いながら白い液がでました。
それから、毎日、飽きもせず、ひたすらオナニーのことばかりを行っていたのです。
さすがに、毎日、頭の中の想像だけでは物足りなくなり、いわゆるおかずがほしくなりました。
昔、エロ本というのは自動販売機で売っていました。ただ、どこでも売っているのではなく、ちょっと怪しそうな場所にその自販機が置いてあって、恥ずかしいので日が暮れてから自販機へ行きエッチな本を買いました。
買った本というのはビニールで包まれていました。だから昔はエロ本のことを、ビニ本とも呼ばれていたようです。
さっそく鼻息をあげながら興奮した状態でビニールをやぶき本の中身を拝見すると、ちょっと残念なことがありました。それは、あそこにモザイクがかかっていたからです。まあ、当たり前のことでしたが当時の僕はそんなこと知りませんでした。
それにしても女性のあそこというのは、どんな形状をしているのか?
当時、インターネットもない時代でしたから、あそこなどを調べようもなく、また誰かに聞けるはずもなく、どうしても知りたかったら、彼女を作る以外に方法はありませんでした。
でも、あのころの僕に彼女ができるなどは夢物語で、仕方がないので、自分の頭で想像するしかありませんでした。
女性器を見ることはできませんでしたが、購入したエッチな本をおかずにして、日々、オナニーを繰り返していたんです。
そうして、夏休みも終わりに近づいたある日、僕の右手の親指がほとんど動かないことに気づきました。
怖くなって近所の接骨院へ行くと、医者から、
「これは、腱鞘炎だね」
と言われてしまい不安になった。そうして看護婦から右手にグルグルと包帯が巻かれた。
夏休みの間、ひたすらオナニーをし続けて、とうとう右手が腱鞘炎になってしまった。そんなこと誰にもいえない。
悲しいことに夏休みが終わっても腱鞘炎が治ることがなく、仕方がなく右手に包帯を巻いたままで学校に行きました。
ものすごく恥ずかしい気持ちでした。
登校日の日、僕の包帯を見て、クラスの友人たちが、
「その右手の包帯、どうしたん?」
と聞かれた場合、いったいなんと答えればいいのか? まさか、
「いや、ただのオナニーのしすぎだよ」
などと、言えるはずもなく、かといって、それになった理由を思い浮かばにいた。
もしかすると、
「お前、オナニーのし過ぎで腱鞘炎になったんちゃうの?」
などと、バレテしまったらどうしよう。などと、心の中では心配ばかりした。
そうして、恥ずかしい想いをしながら席に着いた。なんとか必死に耐えていた。
でも、考えもしなかったもっと切ないことが起こってしまった。
それは、誰一人として、僕の包帯を見て、「その包帯どうしたん?」と声を掛けてくれる人がいなかった。担任の教師でさえも。
みんな、「夏休みはこんなことをしていた、あんな所へ行った」、など、会話に忙しく、僕の包帯どころではなかった。それはそれで寂しかった。
あの夏の日から28年が経過して、昔と変わらず、どうしようもないおっさんとなった。
そういえば、あの日依頼、一度も腱鞘炎になったことがない。言うまでもなく、数え切れないほどのオナニーを右手で繰り返し行ってきたはずなのに。もしかすると、右手が鍛えられて強くなったのかもしれないけれど。
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