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ぼんやりとした不安

 小学生のころ、ぼんやりとした不安がありました。

 そのころ僕はかなりひどい喘息でした。

 喘息というのは、いつ発作が起こるかわかりません。昨日まで元気だったのに、今朝起きたら喘息の発作で苦しむというのは日常茶飯事です。

 夜中に目が覚めると悲惨で、苦しさで寝ることができず、呼吸ができない苦しさでのた打ち回りながら、夜が明けるのを孤独に待ちます。

 朝になると親が病院に連れて行ってくれ、吸入器をすうことによって、すぐに発作がおさまります。

 この喘息がいつ治るのだろうかと、もしかすると一生この苦しみが続くのではなかろうかと、ぼんやりとした不安がいつも付きまわっていました。

 

 親が大学に行っていなかったため、小学生のときから、

「とにかく大学へ行け」

 というのが両親の口癖でした。勉強は小学生のころから好きだったから大学には行ってみたいものの、もし落ちたらと思うと急に不安になってしまうのです。そのころから、果たして僕は大学に行けるのであろうかと、ぼんやりとした不安があったんです。

 

 小学生のころに読んでいた漫画に「コロコロコミック」という雑誌がありました。時々その漫画の特集で、「ノストラダムスの大予言」というのがありました。

 若い人には分からないかもしれませんが、1999年の7月に恐怖の大王が空から降ってくるといったややオカルト的な内容でしたが、僕はぼんやりと信じていました。

 1999年といえば僕が27歳になる年です。

 頑張って勉強して大学へ行き卒業するのが22歳。それから5年後に人類が滅ぶのだとすれば、いったいどこに頑張る理由があるのだろうかと、ふとそんなことも小学生のときに考えていたりしていました。

 結局、あれだけ不安だったノストラダムスの予言は何も起こらず、さらには2000年問題でも特に何か起こることもなく、世紀末のあやしい予言はことごとく外れていたのです。

 結局、大学には進学し喘息は20歳で治り恐怖の大王は振ってこず、僕が小学生のころに抱いていた不安というのは、ことごとく起こりませんでした。

 

 今、2017年になっても、世の中の、ぼんやりとした不安は続いているような気がする。

 高い確率で南海地震が起こるといわれている。もしかすると明日起こるかもしれない。

 年金の問題にしても、果たしてそれがいただけることができるであろうか? もし年金がなければどうやって生きていけるであろうか? そんなぼんやりとした不安がつきまどう。

 さらに、直近である不安といえば、やはり北朝鮮。

 もし北朝鮮が核実験を行えば、高い確率でアメリカが攻撃をする。もし攻撃をすれば、すかさず報復攻撃を北朝鮮が行うだろう。そのミサイルがどこに飛ぶのか? その先は、韓国か日本。もしかすると核爆弾かもしれない。北朝鮮から爆弾一個飛んできただけで、もう戦争は勃発してしまう。

 仮にそんな戦争に勝ったとしても、株価や円は大暴落して経済はボロボロ。失業者が街にあふれるかもしれない。

 

 むかし小学生のころからあったぼんやりとした不安。しかしながら未だに続いていく。

 

 ただ、不安はあるのだけれども、小学生のころに抱いた不安ほど今はなくなったような気がする。

 その理由としては、単純に歳を重ね小学生のころよりはずいぶんと死期が近づいているというのもあるかもしれない。

 それに、今では目標があるからかもしれない。僕のその目標の中には、おそらく自分が亡くなっても達成できないであろうなって目標がある。

 それはあえてそういった目標を作ってみたということがあって、「死してもなお目標」があるという生き方をしてみたかった。

 昔、新聞に載っていた記事なんだけど、その内容は、90歳くらいのじいさんが樹木を植えている仕事をして、ただ樹木が育つのは100年くらいかかる。

 そのじいさんは、

「いや、あと100年、わしが生きるから植えているんじゃ」

 などと言っていたけれど、このじいさんはきっと、「死してもなお生きる」ってことを分かっているんじゃないかな。

 

 僕は、ときどき、「死んだ先の世界」というのを考えたりします。

 うまく言えないんですけれど、死んだ先に何か世界があると思うと、何か、これまで抱いていた、ぼんやりとした不安というのがちょっとだけ消え去ったような気がしたんです。

 今生しか人生がないと思うと、なんだかばかばかしくて頑張れなかったんですけれど、死んだ先の世界があろうかと思えると、先ほどの90歳のじいさんのようにいつまでも頑張ることができる。

 地震や戦争といった未来の不安はきっと現実になる。それにおびえている人生ほどつまらないものはない。不安を感じるための人生なんて意味がない。

 仮に明日死ぬことが分かっていたとしても、それにおびえるよりは、今日を笑って過ごすことの方がいいに決まっている。

 ましてや死の先に世界があるのであれば、明日もし世界が滅ぼうとも、あのじいさんのように樹木の種を今日も植えることができるのではないのかと、思う。

 

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PS.GWも明日で終わりですね。今日はのんびりとスマホで映画を見ています。明日も依頼がなければ映画を見ています(笑)

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