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愛媛松山で女性のための性感アロママッサージ

性感マッサージと人生の密度

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僕がわりと大切だと思っていることに、「人生の密度」という考え方がある。それがないと、実に味気ない人生になりうる。

例えば、登校拒否になった中学生がいたとします。中学3年の間に学校関係者や担任、親やカウンセラーと一緒に頑張ってその人が3日しか学校に行けなかったとしても、その3日間が、3年間ずっと通った学生よりも価値がなかったといえなくもない。ひょっとすると、3年間以上の価値がその3日間にあったのかもしれない。

他にも、20歳で亡くなった青年が、あらゆることに感謝をして死ぬことになったのであれば、60年生きて、「くだらない人生だ」と生きている人よりも、ずっと密度の高い生き方をしていたといえなくもない。

要は、人生はある意味どれだけ長く生きたか、というよりも、どんな生き方ができたのか、ということに価値があるのかもしれない。

僕は、時々、自分の人生に対しても、密度を高くして生きたいと思うことがある。

性感マッサージも僕にとっては、とても密度の高い時間をすごしていると思っている。

というのも、性感というのは親密でなければ入らない場所に行っているし、また、恋人やご主人といった関係の人でなければ触れない場所を触っている。そうなるためにそれなりに時間がかかるにも関わらずそういう関係になっているということだけでも、何だか、密度が高い時間をすごせていると感じているし、体だけでなく、心に関しても、きっと誰にも話せないことを話し合っている。性感マッサージをやっていると、時々ぶっとんだ性癖や悩みを聞くことがある。ごくごくまじめな普通の人たちが。親や友達、彼氏、ご主人のような親密である人たちにすらいえないような話を僕は常に聞いている。誰かに聞いてほしいけれど、誰にも聞いてもらえない声を聞いているときに、彼女の人生に触れているような気がして、なぜか、そんなことも密度が高い時間をすごしていると、本当は違うのかもしれないけれども、感じている。

話は変わって、仮に、50歳の人がいたとして、これまでの人生で何もいいことがなかったとしても、もしかすると明日の1日で、それまでの人生よりも、はるかに密度の高い時間をすごせないとはいえなくもない。

もっといえば、80歳になって、何ひとつ良いことがなかったとして、もうじき死ぬ寸前になり、その最後の死ぬ数時間の体験がそれまでの人生よりも、もっと豊かなことが起こることも、ありえなくもない。

そう考えると、人生は今が仮にどんなに惨めでダメであったのしても諦めるできではないのかもしれない。

僕は、37歳のときにそれまでゴミのような人生を送っていた。まあ、今もゴミのような日々だけど。でも、37歳のときのある日、具体的には12月1日に、これまでに体験したことのないことが僕の人生の中に起きた。その1日は、きっと僕の10年以上の価値があるような、もしかするとこれまでの人生に匹敵するような、密度の高い、そんな1日を過ごした。僕のようなものにも、そんな奇跡が起こるとは、思いもしなかった。

だから、僕は今、仮にどうしようもない人生でゴミのような日々であったとしても、明日はそれをすべて打ち消してくれる日にならないとは言い切れないと、心から信じている。それによって、つまらない日々であったとしても、なぜか希望を持って生きていける、そんな気がしている。

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